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名古屋の学習塾 青藍義塾の塾長

Author:名古屋の学習塾 青藍義塾の塾長
こんにちは。はじめまして。
名古屋市の個別指導学習塾・大学受験予備校の青藍義塾の塾長です。

これまで、社会不適合とレッテルを貼られた「不良」や、偏差値30の学年ビリ、ひきこもりやニート、IQ70の子などをを東大や慶応大、国公立医学部や私立医学部といった難関大学や学部に合格させてきました。

実を言うと、今の日本の教育には足りないことが色々とあります。社会・政府・学校・家庭・親・子ども自身のそれぞれに責任があるのはもちろんのこと、「時代」や「環境」のせいもあるでしょう。

ただ、道路があっても「人材」は作れませんが、「人材」があれば道路は作れます。

年金があっても「人材」は作れませんが、「人材」があれば年金は作れます。

医療費が大量にあっても「人材」は作れませんが、「人材」があれば医療費は作れます。

石油が大量にあっても「人材」は作れませんが、「人材」があれば石油に代わるものを生み出すことが出来ます。



つまり、「何よりも」教育が大事なのです。


そう、「何よりも」です。


教育さえしっかりとしていれば、家庭が豊かになります。各家庭が豊かになれば、社会が潤います。社会が潤えば、国が・地球が繁栄します。

自明の理です。


現在、日本の状況は幕末の状況と酷似しています。

だからこそ、21世紀の松下村塾を作り、21世紀の伊藤博文を、大村益次郎を、山県有朋を、高杉晋作を生み出さないといけないと思っています。


まだ、30歳ですが、吉田松陰は25歳で松下村塾を主宰しました。


私には、多くの海外留学経験があります。
吉田松陰が願ってかなわなかった留学経験が。

まだまだ吉田先生にはかなわないでしょう。しかし、これから彼を超えていかなければならない時代だと思っています。

歴史上の人物は偉大です。しかし、時代はそれ以上の人物を求めます。

ならば、我々がそうなろうではないですか。

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成績を伸ばすために最低限必要なこと

 いきなりですが、質問です。


 ある野球選手は面倒くさがりな性格の持ち主です。バットやグローブのメンテナンスはもちろんのこと、練習場に自分のものを持ってくることすらせず、人から借りています。

 あるサッカー選手は、スパイクを自分のものではなく他人から借りた物を使っていつも練習をしています。

 ある美容師さんは、自分専用のはさみでなく、毎回違う人のはさみを借りてカットの練習をしています。



 さて、こういう人たちが、「一流」の野球選手・サッカー選手・美容師になれるでしょうか?



 まぁ練習量さえ積めば、「それなり」にはなれるかもしれません。でも、「一流」にはなれなと断言できます。



 さて、ここで塾に通い成果を上げるうえで、「テキスト」や「ノート」、「筆箱(中身も含めて)」、「辞書」などは「最低限必要なもの」です。(当たり前ですよね)


 これらを塾から借りていて、成績って伸びますか?



 ごめん、100%伸びないっていえます。



 それは意識が足りなさすぎます。



 ただね、これは特定の個人を言っているわけではなく、「多くの人」がそういう意識しかもっていないんです。



 これは、根性論とか精神論とはまた違う話だと思います。
(その理屈を書くのは大変なので気になる方は直接聞いてください)


 少なくとも、うちの塾で勉強したいという人、学びたいという人は、「絶対に」忘れないでほしい。



 一方で、人間はミスをします。完璧にできるわけではない。


 なので、「一度目」は、注意をしたうえで貸します。


 ですが、二度目以降は、忘れた場合取りに帰ってもらいます。(それによって席がなくなってしまった場合は知りません)


 この方針に、反対の人はうちの塾ではなく違う塾に行った方がいいでしょう。


 私は、本気で長期的な目線で塾生を指導したいと思っています。


 「自分のもの(あるいは普段使うもの)」ではないものを使って練度を高めても、それは本番での微妙な差を生み、失敗の原因になります。


 もちろん、社会人になったら自分の商売道具を丁寧に扱うべきなのは自明の理です。
なぜならそれの「プロ」になるわけですから。




イチロー曰く、「うまくなるには、道具を大切に、道具を愛すること」とのこと。



 「スパイクもグラブも自分の枕元に置くぐらい好きになれ。バットももちろんすべて愛情をもって、自分の道具は自分で管理しろ」宇津木 妙子 (元 全日本女子ソフトボール監督

 彼女は、寮生活中に「火事だ!」という叫び声を聞き、他の人が財布や通帳を持って外に出たときに、自分はバットとグローブをもって外に出たという逸話があります。


「道具を大切にすること、それが上達への第一歩」 大山 康晴(将棋 十五世名人)


「最高の道具で一生懸命練習しなさい。そのかわり長持ちするようにきちんと手入れするんだよ」 鈴木 宣之(イチローの父)

「バットの木は、自然が何十年も掛けて育てています。
僕のバットは、この自然の木から手作りで作られています。

グローブも手作りの製品です。一度バットを投げた時、非常に嫌な気持ちになりました。

自然を大切にし、作ってくれた人の気持ちを考えて、僕はバットを投げることも、地面に叩きつけることもしません。プロとして道具を大事に扱うのは当然のことです」(イチロー)

「野球場は私にとって神聖な職場だ。バットも神聖である。」(ジョー・ディマジオ 伝説的な元メジャーリーガー)




 大成した人たちは、道具を「大切」にしました。「神聖な」ものだとすらいいます。


 私が思うに、道具は「使うもの」であり、その「使い方」が最も大事です。
しかし、その発想には、「道具を大切にするなんていうのは当たり前かつ最低限のことで、さらにそこから使い方の問題が出てくる」というものです。

 道具を「忘れる」人は、、、、、、。言葉がありません。

 道具を「持ってこない」人は、、、、、、。


「なにしに来てるの?」



・・・・・・です。



 思い当たる節がある人(たくさんいますよね?)は、本気で反省して二度とないようにしてください。


 次からは、本当に帰宅させます。何度注意しても「持ってこない」人は辞めていただきます。

 なぜなら、どう考えても成果が上がらないからです。(これはもうやる気とか技術とか、能力とかそういうレベル以前の問題です)




 親御さんたちにもあえて厳しいことを言わせていただきます。


 私たちは、中学生以上を指導しています。これが幼稚園児や小学生ならばまだ分からないでもない。

 でも、中学生以上ならば、せめて「道具を持っていく」ぐらいは、「ご家庭で」指導を完了していてください。

 もし、それが難しいというのであれば、逆にいえばそんなことすらこれまでにできていないわけですから、「成績が上がる」とか「人間力が上がる」という高等なことを達成するためには、これまでの人生の倍の時間はかかると思っていただきたいです。(私たちは指導のプロですから、それぐらいの短い期間ですむということです)

 つまり、中学1年生ならば13年生きてきているわけですから、さらに13年で成果は出せるでしょう。



 大げさでしょうか?そんなことはないと思いますよ。



 私はそれぐらい危機感を持っています。


 ご協力よろしくお願いいたします。 

効率的な学習法 | 04:27:56 | Trackback(0) | Comments(0)
保護者面談中の至言

 時期的に、保護者の方や塾生と面談する機会が多くなっているじゅくちょーです。

 こんにちは。

 たいてい、面談では相手の方が僕のアドバイスを求めるという形なわけで、もちろん僕自身「プロ中のプロ」としての意識を持って精一杯対応します。

 一方で、僕の座右の銘である「我以外皆師也」を実践する良い機会であり、「何かを学ぶぞ!」と常に思っています。

 そんな中、先日ある塾生(ものすごい才能を持ちながら、長年心の病を患い、精一杯生きている子)のお母様とお話をする機会があり、ハッとさせられた言葉をいただきました。



 「なんで生きているんだろう? なんのために生きているんだろう? っていう人って多いじゃないですか? 私はそういう方に言うんです。 なんで生きているんだろう? じゃなくて、なんのために生かされているんだろう? なんで生かされているんだろう? って問いなさいって」


 ものすごく深い言葉だなと思いました。

 そして本当に適切な表現だなとも。


 
 私たちは、常日頃、「生きる」というのを主体的に(自らの意思で)行っているという「錯覚」をしています。

 だから、生きる目的や目標を常に考え、それを明確に分かっているときには生き生きとしていますが、”だからこそ”何かに失敗したり、不幸なことがあったり、自分自身が迷った時には、「なんのために生きているの?」とか「もう死にたい」とか思ってしまう。


 でも、本当は違うんです。

 私たちは「生きる」のではなく、「生かされている」んです。


 両親や友人、先生や同僚、先輩や後輩、社会、他の国々の人たち、動物、植物、歴史上の人物やそのリズムといった様々なもののおかげで生かされている。

 どれだけ精一杯生きていても、ふとしたアクシデントで死にいたることなどざらにあります。

 そんな中で、私たちが「生かされている」意味を考えることって、「生きる」意味を考えることよりよっぽど大事なのでは?

 と思いました。


 生きる意味は、自分の精神状態や成功・失敗・意識などによって簡単に崩壊しがちですが、生かされている意味は強固です。

 他者との関係性が常に浮かび上がる。


 人間は社会的な動物です。その中で、自分自身の役割や意味を考える、感謝をする。

 忘れがちな考えを、簡潔な一言で伝えてくださったお母様に感謝したいです。


 思わずメモっちゃいました。(笑)


 隣にいた講師長のW先生にも「今のメモってください!」って興奮して伝えましたからね。

 ありがたい。


 やっぱり僕は「多くの人と出会い、共に教えあう」この職業が大好きです。


 

日記 | 04:14:59 | Trackback(0) | Comments(0)
お母さんたちへの応援メッセージ

 昨日は、私の誕生日でした。
 10月後半は、4人のスタッフの誕生日が続くこともあり、みんなで簡単にケーキとコーヒーでパーティーをしました。これから一年の抱負は・・・と聞かれ、

 「ボーリングでアベレージ150」と言っておきました。(←行きません)

 あと、業務終了後、事務スタッフの皆さんの打ち合わせをしていると、

 講師長のW先生が、「すみません塾長、少々お時間よろしいでしょうか?」と、声をかけずらそうにいってくるので、ミーティングしてるんだから時間いい訳ないだろうと思いつつ、も

 「それって、緊急ですか? ABCDEで緊急度合いを表すといくつぐらいです?」

 と聞くと、

 「B」です!

 とW先生が答えるので、「なに〜〜!なにがあったんだ〜〜〜〜!!!」

 そう思いつつ、急いで4Fに向かいました。


 途中、「で、どんな要件ですか?」と、事前に情報収集しようとすると、ものすごく言いにくそうに「N先生が、生徒さん・・・・・・」と細々と答えるので、かなりの不安が頭をよぎりながら、4Fの非常階段の扉を開くと、そこは真っ暗。


 「We are the champions my friend〜♪」


 と音楽が流れ始め、講師の先生方で拍手で迎えられ、

 「塾長お誕生日おめでとうございます!」

 とサプライズとともに、ケーキをいただきました。


 唖然として、言葉が出ない・・・・・・というのを久しぶりに体験しました。


 あと、生徒さん達が主導で作ってくれた「Happy Birthday」の色紙をいただき、思わず泣きそうに。


 
 この年になると、誕生日なんて「めでたい」なんて全く思わないんですが、年々祝ってくれる人が増えるのがうれしいです。ほんとに。




 
 さて、本題。

 私の家では、いまだに誕生日プレゼントを渡します。(普通ですよね?)
今回、僕に送られてきたのは、かなり高価な「布団」でした。

 私は、30歳を過ぎたときから、「誕生日」っていうのは、祝ってもらうのではなく、母親に感謝をする日だと思っています。普段はなかなか言えない一言をメールで伝えようと思い、夜中に母にメールを送りました。


 それが以下の文章。

--

お陰様で32才になりました!

振り返ってみるとこれまでの人生色んなことがあったなと思います。

100年ぶりの跡継ぎとして生まれてから、今のようになるなんて、お母さんは、そこから全く想像できなかったでしょうね。

僕自身、10年前に想像していた自分像とは全く違う訳で。

節目節目でお母さんの愛に支えられてきたと思っています。

福岡に引っ越した時、ベスト電機にいったこと、布団一組とストーブで寝たこと。お母さんがごめんねと泣いていたこと。

未だに思い出します。

考えてみると日本はバブルの絶頂期だったんだよね。
うちは最も貧乏だった時代なんじゃないかなと思います(笑)

今僕はやっと一人立ちができた気がします。

どんなに辛いときでも、どんなに乗り越えられなそうなときでも、僕には常に味方がいます。だから乗り越えられる。

お母さんの存在は、僕にとって、元気の源であり、自信の根拠です。

お母さんが、僕の幼少時代に時に『半端なく』厳しくしてくれたし、漫画世界の歴史、日本の歴史、膨大な絵本や図鑑や小説など惜しみなく買い与えてくれ、好奇心を刺激し、全て自分で調べるよう導いてくれたお陰で今の僕があります。

おばあちゃんからは無条件の愛情、お母さんからは真の教育(そしてそれは本当の意味の愛だと思います)を与えて貰いました。

本当にありがとう。

できることなら僕の心の中を全て見せて、どれだけ感謝しているかを伝えたいです。

今は色んなことがうまくいっていますが、これからもまた困難なことがくるのは常々覚悟しています。

お母さんはよく言ってたよね。

男ならそれぐらいのことで泣くな、歯を食いしばれ。お前はそんなもんじゃないって。

正直褒められた記憶がありません(笑)

だからこそ、お母さんが『凄い』っていってくれるような人間になるのを目指したり、半ば諦めてぐれたりしたように思います(笑)

今はとにかくお母さんが『幸せ』と思える環境を作りたいと思っています。

だからちゃんと長生きして、これからも叱咤激励をお願いします。

本当にありがとうございます。

お母さんの存在に感謝です。

生んでくれてありがとう。

お母さんの子どもとしてこの世に生を与えてくれた全てのものに、今日は感謝したいです。

夜遅くにごめんなさい。

信○

追伸:こっぱずかしいのでこのめーるに対する返事はいりません〓〓




----


すると、30分後に送られてきた返信がこれ


---


32歳の誕生日おめでとう!
T子がここまで育ったのは信がいたからと思ってます。
二人で力を合わせて頑張って欲しい。

いろいろ苦労させたなと思います。
信が「お母さんが寺を出たから僕は自由にできる」と言ったことで自分のしたことを肯定してきた。
その為に随分苦労させたね。
それをバネに頑張り強く生きようとしているのがわかりますT子もあと少し、やっともうすこしでお母さんの役目は終わりかなと思います。

体に気をつけて頑張りなさいね。
思いやりがあり強く逞しい子に育って欲しいと思ってたように育ってくれたのでうれしいです。大変な時、おばあちゃん、○○おじちゃん、△△おばちゃんが支えてくれたました。感謝です。

貴方に今何もできないけれどひよこが何かあると親鳥の羽の中に入り込むように疲れた時あの布団で癒してまた頑張ってね。

貴方たちが生まれて来て良かったと思ってくれたらそれでお母さんは幸せです。

誕生日おめでとう!


---

なぜ布団が送られてきたのか・・・・・・その意味が、理解できました。

泣かせるなぁ。。。。。




私は母子家庭に育ちました。母は相当苦労していました。

しかし私は、決して「親孝行」な息子とは口が裂けても言えません。
学生時代は散々親を泣かせましたし、めちゃくちゃ反抗もしました。
いろんなことで逆らって、何度面と向かって「くたばれ」的なことを言ったかわかりません・・・・・・。


大人になってからも、好き放題やってきて、ろくに実家にも帰りませんでした・・・・・・。

それが今や、こんな関係になるんです。

母からもらった命、そして愛情。

母に恩返しをするのは当たり前として、それ以上に、母の教えとその教育を多くの人に伝えたいと思います。

今日も、「小学一年生」のお子さんを持つ親御さんとお話をしました。(当塾は中学生以上が対象です)

求められればいくらでも話をします。社会貢献の一環だと思っているからです。


誕生日を迎えて、みんなに祝福され、改めて死ぬ気で頑張ろうと思えました。
うん。死ぬ気で頑張ろう。

疲れたら、布団にくるまりながら寝ます。

ありがとう。本当に。

コラム | 02:37:36 | Trackback(0) | Comments(0)
2と1は等しい

 2と1は等しい数です。


 なんて言われたら、はぁ?ってなりませんか?


 ところが、こんな記事があります。

 http://kyoko-np.net/2008090501.html



a = b
a2 = ab
a2-b2 = ab-b2
(a+b)(a-b) = b(a-b)
a+b = b
2b = b
2 = 1


 うん。

これ、おもしろいですね〜。


さて、分かるかな。ちなみに、これは一種のジョークであり、パズルです。



コラム | 02:58:39 | Trackback(0) | Comments(2)
Redundancy
 リダンダンシー。

 日本語では、「冗長さ」のこと。


 昔、「腐った腐乱死体」という言葉をあるニュースキャスターが使っていた。

 腐乱死体って、「腐った死体」なわけだから、「腐った腐乱死体」って表現はおかしい。

 こういうのを英語では「Redundancy」という。

 英作文で注意しないといけなかったりする。


 あと、「飛行機が再び再着陸を試みました」とかいうのも同じね。



 で、まぁちょっと話は違うんだけども・・・・・・。


 先日塾に向かっている途中の交差点(車道駅前)で、子どもやおばあさまたちがあるパンフレットを手渡していた。

 私ももらいました。


 そこには、「仏陀再誕」っていう文字が大きく踊っていました。


 私は、思わずプッと吹き出してしまいました。


 いやね、別に批判じゃないです。内容知らないしね。これがどういう映画なのか分からないし、興味もない。

ただタイトルが面白い。それだけ。

 私は、実を言うと浄土宗の住職の息子として生まれたわけです。(今はもうほとんど関係ないですけども。叔父にあたる人(?)が現在住職だとか)

 その寺(結構大きいらしい)で100年ぶりの男の子だったとかなんとかで良く分かりませんが、檀家の皆さんの期待を一身に背負っていたわけで本当に申し訳ないとちょっと思っていたりもします。(地元に帰るといまだに継いでほしいという声を聞くので......)

 そういう背景もあり、一応ですね、私としては仏教の基礎知識はあるわけです。


 まぁ、結論を言うと、


 「仏陀って再誕することは絶対にないんじゃない?」

 ってことです。


 なぜか。


 仏教の世界観で、「輪廻転生」ってのがあります。


 簡単にいうとぐるぐる何度も生まれ変わったりいろんなのになったりするよってやつです。

 で、そういう「輪廻」から「解脱」した存在が「仏陀」なんですよね.....。

 つまり、もう生まれ変わったりする次元の存在じゃないのが「仏陀」なわけで、もし「再誕」したらそれって仏陀じゃないじゃん。


 ってこと。


 昔、アメリカにいたときに哲学の授業でね、

 「God is a perfect being. A perfect being has an existence. Therefore, God exists.」

っていう、三段論法を知った時に、「なんだそれ、すげー」と思った。


 訳すと、「神は完璧なものである。 完璧なものは“存在”を持つ。 それゆえに、神は存在する」

 ってもの。

 神の定義=完璧なもの

 完璧なもの=存在しないと、”完璧”っていえないじゃん!

 てことは、神は存在するじゃんね!


 っていう、理屈。


 神学者のアンセルムスとか、哲学者のデカルトが唱えた(と、私の記憶ではそうなっていますが、間違っていたらご免)。

 
 神がいるかどうかは良く分からないけれど(仮にいたとしても、いなかったとしても、私には自由意思があるのでそんなに影響は受けない)、いずれにしてもこの「たった三行」の言葉で神の存在を証明するっていうのに、すごいなぁと鳥肌が立った。

 で、この「仏陀再誕」。

 えーっと、タイトルでいきなり……(以下自粛)。

 
 デカルトの対極にいるなと思った。(パンフレットもらった瞬間に思いました)


 
 これって、なかなかつけられないキャッチですよ。


 たった4文字で全力で間違うって! ある意味本気ですごいと思いました。


 他に何かできないかな。こういうの。(ある側面からみると、Redundancyの対極にいるよね)

 秀逸なのを募集したいです。


 注:念のため、いっておきますが、他意はありません。この映画を中傷するつもりもありません。
タイトルが面白いと思っただけです。意図があるならばそれはそれでいいと思っています。

 注2:この映画は某宗教団体が制作した映画であるということを後で知りました。ちょっとこんな記事書いたら怒られるかもしれないので、その時は速攻で消します。変なことでもめたくないですしね。 

コラム | 04:26:42 | Trackback(0) | Comments(3)
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