それは、
『行動力がある』
と言うこと。
実際、思い立ったらすぐに実行したくなる所があります。(今はさすがに落ち着いてきましたが(笑))
例えば、アメリカに留学した時の話ですが、実は渡航前に滞在先が決まっていませんでした。つまり、住む場所や一時的に泊まる場所すら決まっていなかったのです。
ロサンゼルスです。
当時は日本人留学生がアメリカで射殺されたりする事件などがあり、「アメリカ=銃がたくさんある→危険」という発想が非常に強かった時代です。
また、ロサンゼルスはハリウッドがあることからも、ドンパチをやりはじめる映画に出てくる都市の代名詞でもありました。(実際、大学時代に、発砲現場を見たことや居合わせたこと、銃を突きつけられたことなどが何回かあります)
よって、みんなには、ギリギリのギリギリで「いや、まだ決めてない」と伝え、「ええええええええ!!??!!!???!!」と言われました。(笑)
だってね、まだ行ったことないわけですよ。どこがいいかなんて分かるわけないじゃないですか。
住宅事情だって全く分からないし。相場だって契約書だってどうなるのか、分からない。
なのに、インターネットや電話だけで良いの?ってはなしですよね。
でも、みんなから(特に親)は無謀すぎる。だからお前は無計画なんだのかんだのと、正論をいわれまして・・・・・・。
「でもほら、大丈夫。死ぬ訳じゃないし。最悪、どっかに野宿するよ。あはは。」
と、自分に言い聞かせるように笑いながら答えると、
「いや、死ぬから」
と冷たく言い放たれました。
でもね、そんなこといったって飛行機の予定日はもう明日。どうにもなりません。
私は説得しました。
昔からそういうところがあった私は、親とショッピングに行くと必ず「じゃあ、おもちゃ売り場行ってくるね」といって、親と離れました。親は親で楽なので4歳ぐらいの私と離ればなれになって、自分の目的を達成する。私はそれに付き合うのは苦痛なので、おもちゃ売り場などに行って遊ぶ。
で、飽きると、店員さんの所に行き、呼び出して貰うのです。
ピーンポーンパーンポーン♪
「迷子のお呼び出しです。○○からお越しで、迷子になっている△△さま(母)、お子さまがお待ちです。■■まで早急にいらっしゃってください」
はい。母を迷子扱いにして呼び出していました。
毎回、母は苦笑いしながらも、迷子センターまで駆けつけてくれていました。
でも、それまでの1時間を自分の時間として使うことができた母は、特に怒りませんでした。
私が5歳ぐらいになると、もう慣れたもので、おなじみの店員さんができるわけですよ。
「あ。○○くん。そろそろお母さんが迷子になった?呼び出そうか?」
「うん!お願いします」
そうやって、子どもにとって退屈なショッピング、親にとって子どもがぐずるから面倒なショッピングが、互いにとって素敵な時間になっていたのです。
なんと独立心旺盛な・・・・・・と言われますが、まぁそんなものです。
親が子どもを放っておくと、子どもは「工夫」します。だって、失敗したくないじゃないですか。
子どもだって。
でもたまに失敗する。すると、嫌な経験だったので、今度はどうにか成功するように努力する。
それをね、親が全部「失敗しないように」お膳立てをしてあげれば、子どもの創意工夫が全くなくなるわけです。
私にとって、面白くない買い物を楽しいものにするのが、母との別行動であり、不安になってきたときの解消法を工夫したのが呼び出しだったわけです。
留学するときも、母は全く手伝ってくれませんでした。
「あなたがやりたいんだから、自分で全部やりなさい。本当にやりたいこと何だったら、自分で全部やりなさい」
全くだと思い、大学の選択にしろ、入試にしろ、ビザの申請にしろ、飛行機の手配にしろ全てを自分でやりました。
そんな感じだったので、「住居」は最後の最後、優先順位としては最下位だったわけです。
だから出発時に決まっていませんでした。
だって、野宿するつもりでしたから。
ホテルなんて高価なものは使うつもりはありませんでした。1泊4000円〜1万円なんて払うぐらいなら駅のホームでネタ方がまし。そんな感覚です。もしそこで事件に巻き込まれるようならそれはそれで運命なんだろう。そう思っていました。
で、アメリカに到着。最初にしたのは、大学に行くこと。
そこで、今の状況を説明し、留学生のカウンセラーにユースホステルを紹介して貰いました。
一泊600円ぐらい。
4人部屋に、スペインからの旅行者や中国人留学生、スウェーデンからの旅行者などがいて、色んな話をすると、別に私の状況を笑われることはありませんでした。
「普通だろ」
的な。
私がアメリカに到着して大学に行こうという発想は、今考えるとまさに「工夫」だと思います。
そもそも、最初から「野宿をしたい」という訳ではなく、最悪それでもいいやと言う覚悟があっただけの話。
どうにかそれを回避する工夫や努力は最後までする訳です。
で、結局うまくいきました。色んな人とそこでの1週間で出会えた。
そしてその間にカウンセラーに良いところを紹介して貰って入居。もちろん、カウンセラーは大学の教授なので無料です。(笑)
ちなみに、そこから、自分で契約書にサインしたり、水道や電気、ガスに電話の契約をしました。
この電話の契約がまた大変だったのですがそれはまた今度の話にしたいと思います。
いずれにしても、私が言いたかったのは、
失敗は成功の母といいます。
そして、それは近未来のことではなく、小さいうちに「若いときの苦労は買ってでもしろ」という格言どおり、色んな苦労=失敗(も含む)を重ねることによって、経験し、工夫をする独創性が生まれる。
そのことによって人間的に大きくなると言う意味ではないかと思います。
また、そういう意味では、「母」という言葉の意味は大きくて、母親が子どもにドンドン失敗(苦労)をさせることが成功に繋がるのではないかと思うのです。
最近のお母さん達は例外なく「やさしい」。
子どもに対して本当にやさしいんです。
ほめて育てようという風潮もさることながら、何かにつけて子どもに失敗させないようさせないようと用意周到にお膳立てをしてくださいます。
例えば典型的なのが、学校を休むとき・塾をちょっと体調が悪いぐらいで休むときに親が電話する。(→子どもが言いにくいことを先生に言わなければならないという苦労を親が代わりにする)
塾や学校選びを親がする。(→子どもが自分の足を使って、目で見て選び、その選択に責任を持つことを親が代わりにする)
大学入試に親がついていく。
もちろん、それが「悪い」とはいいませんし、うちの親もまた極端かなとは思います。
ただ、そうやって育ったいま、自分で言えることは、
多分、どんなことがあっても最悪一人で生きていける精神力と創意工夫が身に付いた。
そう思います。
果たして、全てにお膳立てをされて、失敗した経験が少なかったり、自分が行ったことに対して親の静にできるという逃げ道を与えられている子どもが成長したら、一体どうなるのでしょうか。
それは私には分かりません。(少なくとも、そういう風には育てられていないので)
誰か教えてください。
個人的には、まずここから初めて欲しいと思います。
子どもが「ねぇねぇママ、これってどういういみ? なんでそうなるの?」
と聞いてきたときに、
「自分で調べなさい」といって、百科事典や辞書を渡して、その「調べ方」を教えてあげることからです。
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